【なぜ?】兵馬俑の兵士は全員一重まぶた

中国・陝西省西安市には周、秦、漢、唐などの王朝が無数の文化遺産を残しており、なかでも発見当時に世界を震撼させた兵馬俑は有名です。
兵馬俑・・・秦の始皇帝のお墓で、埋葬された等身大の人形は8,000体にものぼる世界遺産。
人形は当時の軍隊を忠実に再現したと言われており、一人一人顔が違います。
身長は平均1.8mで漢民族だとういう説が主流です。
なぜ一重まぶたなのか?
■顔料の色落ち説■
兵馬俑の兵士は人間を模して製造されたため、表情は実に生き生きとしており、二重まぶたも一重まぶたの兵士も存在していたと考えられていました。しかし、二重まぶたは顔料を使用して描かれていたため、発掘された際に空気に触れ、酸化したことで顔料が色あせ、一重まぶたになったという説。
■職人の手抜き説■
二重まぶたがないのは、仕事に手抜きがあり、わざと二重まぶたを描かなかったという説。この説にはあまり信ぴょう性がないように思われ、秦の始皇帝が、職人に適当な仕事をさせたとも考えにくいです。
■一重まぶたが漢民族のシンボル説■
兵士の当時のモデルとなった人間が一重まぶただったことに由来している。2200年前、秦を統治していたのは、西北地域に住んでいた人々で、モンゴル人や東アジアにルーツがある人種で、相対的に単一民族だ。この民族の身体的特徴の一つが一重まぶたであり、蒙古ひだ(目頭を覆う部分にある皮膚のひだ)があることです。
一重まぶたと二重まぶた
一重まぶた・・・感情よりも論理性を重視するタイプ。常に冷静な面を持っており、感情に流されることは、少ないとされています。
二重まぶた・・・即断即決のタイプ。基本的に前向きなため、ポジティブさと、スピーディーさを兼ね備えています。
人相学的にはどちらでもかまわない。肝心なのはよく見える目。メガネで補うのも可だそうです。
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