▲富士山▲最後の銭湯絵師たち

出典:ARTIST DATABASEr

銭湯と言えば、破風造りの大きな屋根に高い天井、そして富士山の絵であることは誰もが認めるところです。
実は、この富士山の絵は関東発祥、大正時代に神田のキカイ湯に描かれたのが始まり。 関西は湯船が浴室の中央にあることが多く、銭湯絵は復旧しませんでした。 1970年代、銭湯文化が隆盛を極め、都内に約2,700軒が存在していた頃、富士の絵は広告とタイアップして年1で書き換えられるのが通例で、絵師は多忙を極めていたようです。現在は都内に約720軒の銭湯が存在、そのうち230軒に富士山の絵があると言われています。そして現在残る銭湯絵師は3人しかいません。

|銭湯絵師 丸山清人

現在存在する絵師3人の兄弟子。もともとは高円寺の広告会社に後述する中島盛夫氏と共にタッグを組んで働いており、45歳にして独立。映画テルマエロマエで冒頭のシーンでアップに映る富士絵は彼の作品です。「空3年、松10年」と言われる厳しい職人世界を叩き上げで来た78歳現役のタフ・ガイ。中野のブロードウェイで個展を開かれるなど精力的な活動を行っています。

丸山清人 公式ホームページ


|銭湯絵師 中島盛夫

上記の丸山氏の弟弟子。ローラーで壁を塗る技術を発案し、大幅な時間短縮を実現。定休日に塗り替えるのが通例だった銭湯を2件掛け持ちするなどして銭湯絵師として大いに活躍。近年で六本木ヒルズ34Fのgoogle本社への壁画、ライブペイントアーティストのgravityfreeとのコラボで銭湯壁画を書くなど常に革新へとチャレンジし続けています。

銭湯絵師 中島盛夫ホームページ
Youtube


|銭湯絵師 田中みずき

上記の中島氏の弟子で、丸山氏の孫弟子にあたる。美術大学在学時、卒論のテーマに銭湯絵を選んだところで中島氏との交流がスタート。以後出版社などの仕事を掛け持ちしながら中島氏に師事。8年の見習い期間を経て独立。Audi Japanとのコラボ作品など師匠と同じく銭湯絵師の技術を新たな分野に見出しています。

|実は自分の絵を見るのが嫌い?

実はお三方とも、完成した自分の作品を見にお風呂に入ることはほとんどないそうです。 理由は、あそこをもっとこうすればよかった。風化していく作品を見るのを我慢できないなど、職人気質そのもの。

レコードと酒とバイクを愛する健康オタク。 主に音楽、グルメ、時事ネタなど。生活のアクセントになるものを投稿します。

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